大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和24年(新を)3325号 判決

被告人

樫村まつ

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件起訴状によると公訴事実は、

被告人は住居地において農業を営み麦類の生産に従事している者であるが昭和二十三年度産麦類について政府に売渡すべき数量は一石八斗八升一合売渡の時期は同年九月三十日迄と定められたにも拘らず右期日迄これを売渡さなかつたものである。

といふのであつて、原判決は右事実を認定し被告人を罰金一万円に処している。よつてその当否を審案する。食糧管理法第三条によると米麦等の供出義務者は、米麦の生産者に限られ、生産者にあらざるものが供出義務を負担することはない。しかうして米麦等の生産者とは自己の名においてその責任を以て米麦等の農業を経営し従つて生産物の所有権を取得するもの、即ち企業の主体をいうのである。実際に農耕の労務に従事するか否かは問ふところでない。実際に農耕に従事せずとも、自己の名義及び責任において農業を経営すれば、即ち生産者であり、反対に、実際に農耕の労務に従事しても自己の名義責任においてするのでなく、他人のためにするものは生産者でなく単に従業者に過ぎない。右の観点から本件記録によつて、被告人が供出義務者であるかどうかを検討して見ると、被告人は故樫村末吉の妻であつて夫と共に農耕に従事していたか、その当時は夫末吉が農業の責任者で供出割当も報償物資も皆同人の名義できていたことが判かる。同人は昭和二十四年二月二十三日死亡したからその後は誰が供出義務者となつたかは別として、その以前は専ら末吉が供出義務者であり、本件起訴によつて問題とされてゐる昭和二十三年九月三十日迄に麦を供出すべき義務を怠つたのは末吉である。被告人は農耕に従事していたとしても供出義務者でないから、右不供出の責任を問はれる筋合でない。(なお末吉の不供出に基く刑事責任を承継するということのあり得ないことは論ずる迄もない)原判決が引用する最高裁判所の判例は、本件には適切でない。原審が被告人を生産者、従つて供出義務者と認めたのは法の解釈を誤つて、延いて被告人を農業経営者と誤認したものであつて右違法は判決に影響がある。

論旨は理由あり原判決は破棄を免れない。

(控訴の趣旨)

第一点 第一審判決によれば、被告人は昭和二十三年産麦類について亡夫末吉と共同して生産に従事したのであるから被告人にも供述義務があつたことは明らかであると断じ、昭和二十四年二月十日最高裁判所昭和二十三年(れ)

第一、二五八号食糧管理法違反上告事件の判例を援用して被告人を生産者と断じ罰金壱万円の判決を宣告した。

(右判例は後述の通り本件被告事件で其本質異なる事件に対する判例である)即ち、第一審は、被告人は供出責任者亡夫末吉の「(1)妻(2)亡夫と共同して生産に従事」の二点を採りて、食糧管理法第三条第一項謂ふところの生産者なりと断定したのである。

然し控訴人は同条の生産者なる意義解釈について、第一審裁判所と其見解を異にする。即ち本件生産者とは、自作人又は小作人若しくは共同経営者で其生産物に対する処分権を有する者でなければならぬと信ずる。今本件について考察するに、樫村末吉は本件麦類産地たる一反九畝の畑を所有し、且つ、自ら之れが耕作に当り自ら採収し政府より麦類一石八斗八升一合供出割当及之等供出期日を昭和二十二年九月三十日と指定を受け、従て昭和二十四年二月二十四日死亡時迄供出責任者即ち生産者なりしことは明確であるが問題は控訴人が生産者に該当するや否やに存すると信ずる。

本件麦播種期たる昭和二十二年十月以降翌二十三年八月の収獲迄は、右樫村末吉自ら耕作並に収獲に当り此間控訴人及長男信男、長女すみ江等の助力ありたることは事実なるも、単なる助耕にして右生産経営に共同責任を負て居りたるものにあらざることは控訴人が六十五年の老年にして家事炊事の余暇を以て農耕に助力したるも土堀運搬脱殼等の重労働に堪へず之等は長男、長女等の助力に俟ち、従て生産物其他農機具肥料等は亡夫末吉の承諾なくしては一切使用処分等許されなかつたのである。

以上に依れば控訴人は昭和二十三年産麦類の供出責任者に該当せず、之を生産者と断じたる第一審判決は不当である。

第二点 本件麦類一石八斗八升一合供出責任者樫村末吉死亡に依り、昭和二十四年一月二十四日生産地一反九畝は他の遺産並に債務と共に相続開始せられた筈である。之れは本件未供出債務の承継人を決定するに重要である。

第一審判決が控訴人を食管法違反事件の被告人として取扱いながら前記供出義務承継人を無視したことは、事実の認定に重大なる誤りがあつたと信ずる。

第三点 第一審の援用した昭和二十三年(れ)第一、二五八号判例は本件の場合と其本質を異にする事件に対する判例であると認むる。右判例に掲ぐる長谷川チン、長谷川クマ、岡本スギ等は現に生存中の夫と共に共同生産した米を闇売りしたのであつて、妻の此の行為に対して夫より何等の意思表示無かりしに徴し、右米が夫妻共同経営に因り生産された米であり妻として当然生産者と解するを相当とする前記判例は正当である。

之に反し控訴人の場合は、生産責任者たることの明確なる樫村末吉に於て完全に単独生産者たるの地位に於て生産品は勿論農機具肥料等一切の使用権処分権を所有し、控訴人及長男長女等は単なる助力者にして何等の使用権処分権を有せざりしことは第一点記載の通りである。従つて、控訴人は、食管法第三条第一項の生産者に該当せざるに不拘是あることを前提として、右判例を援用したるは事実認定又は採証の方則を誤りたるものと信ず。

第四点 本件昭和二十三年産麦一石八斗八升一合供出責任者樫村末吉に対する食管法第三条第一項同第三十二条の犯罪は昭和二十三年九月三十日成立し、又同人は昭和二十四年二月二十四日死亡したのである。

然し本件不供出債務は右樫村末吉の相続人に承継せらるるものと信ずるが此場合控訴人に対する第一審判決は当然破棄せられ、無罪の判決あるべきものと信ずる。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例